私は長男と同じく小学校時代、能開にお世話になりました。私は紀南地域に住んでいましたが、紀南地域に進学塾はないため、和歌山市の能開に小学校5年生から毎週土曜日に通塾しました。国鉄で片道2時間ぐらいだったでしょうか。

紀南地域には受験して入学する中学はなく、小6のときのクラスメイトは中学受験の存在は知らないようでした。私以外は全員同じ中学校にいったので、さみしい思いもしました。

和歌山市の塾に私が通っているとききつけた父親の友人は「和歌山市まで勉強を教えてもらいに行かないと小学校の勉強についていけないとは大変な状況」と理解し、父親に同情してくれたと父親は苦笑していました。

塾は楽しかったです。小学校よりはじけていて面白い先生が多かったです。問題を間違えたりすると、「左手地獄だー」といわれて一定時間左手をあげさせられ続けました。その間も右手で勉強です。そういう罰も楽しかったです。テストも点数を競うゲームのようで楽しかったです。もちろん知らないことを教えてもらえるので知的好奇心も満たしてくれました。

当時はファミコンもなかったですし、テレビ録画機も我が家に来たのは小6のときですから、夜はあまりすることがなかったのからかもしれません。

普段は自家用車での移動なので、通塾当初は 電車に乗れるのもうれしかったです。土曜日の午前中は小学校で、午後に能開に行き、帰ってきたら夜の8時頃だったんだと思います。自宅に戻るまでにおなかがすくので、500円ぐらいのお小遣いをもらって和歌山駅の売店でお菓子を買っていました。普段はそんなに大量のお菓子を食べたら叱られるので、大量のお菓子を食べられるのはうれしかったです。同じ電車で能開に通塾する友人もできてきて、帰りはいつもお菓子パーティーでした。

というわけで私は中学に合格したいから能開に行っていたというより、結構楽しかったから行っていた感じです。今思うと、私がそういう風に感じるように両親が工夫していたのかもしれませんね。

中学入試に合格したとき私ももちろんうれしかったですが、私の何倍も親が喜んだので、そんなに喜ぶべきことなんだと驚きました。

合格後に地元が嫌いだから私立中学行くわけではないと町長さんの家に両親と私で説明にいきました。町長さんは家に招き入れてくれて、しっかり勉強していずれ地元に帰ってきてくれたらうれしいといってくださいました。

2つの私立中学に合格しました。家に近い方は仏教系で坊主頭にして手首に数珠をまかないといけないといわれたので嫌だと思い、家から遠い方の私立中学にしました。

それで親元を離れてキリスト教系の私立中学に行きました。今思うと、こちらの中学の方が偏差値は高いので、親は下宿させてでも行かせく、私がそちらを選択するように仕向けたのかもしれませんね。

[この記事作成時点において長男小5、次男小3、長女小1です。]